2022.06.23
【キャリアを考える②】伝説のスピーチに見る「計画された偶発性」
リージョナルキャリア福岡のコンサルタント、植田です。
西日本は例年よりずいぶん遅く梅雨入りしましたが、割と梅雨の晴れ間も多くて、もう夏がやってきたような日差しですね。梅雨が短いのは嬉しいです。(沖縄は6/20にすでに梅雨明けしたそうです!驚)
キャリアを考える=人生を考える
さて、最近新たに始めた『キャリアを考える』シリーズ。前回は「キャリアには広義のキャリア、狭義のキャリアがある」とお伝えしました。
職業だけでなく、無給のライフワーク(こう書くと不自然ですが、つまり仕事以外です)を含めて、「キャリア」。キャリアについて考えるということは、人生を考えると言っても過言ではないんですね。
キャリアカウンセラーである私たちは、みなさんの「仕事を含めた人生設計」をお手伝いしているということです。
自らハードルを上げるようでアレですが、みなさんにとって「相談するに足る」人間を目指さないといけませんね。頑張りますのでよろしくお願いしますm(._.)m
それでは今回も、キャリアに関するヒントを一つお届けします。
クランボルツとスティーブ・ジョブズ
キャリアカウンセリングの理論には大きく7つあるのですが、その中で、私が最も好きなのが『計画された偶発性(Planned Happenstance)』です。
スタンフォード大学の教授であり心理学者でもあるクランボルツ氏が1999年に提唱した概念で、法政大学キャリアデザイン学部教授の宮城まり子氏の著書『キャリアカウンセリング』には、「計画された偶発性」について以下のようにまとめられています。
キャリアは用意周到に、綿密に計画し準備できるものであると思ってはいけない。むしろ偶発的にいつかやってくるかもしれない絶好のチャンスを見逃さないようにし、常にチャンスに備えて予期せぬ出来事が起こる時のために準備し、心を広く開いておかなければならない
個人のキャリアは生涯にわたる学習の連続であり、多くの選択肢を前に何度もくりかえし意思決定を行い、数々の予期せぬできごとを乗り越えながらキャリア形成をおこなうものである。
そしてクランボルツはライフキャリアについて次のようにまとめている。
1. 人は生涯学習しつづけるものであり、キャリアはこうした生涯にわたる学習によって形成される
2. キャリアの最終ゴールは豊かな楽しみのある人生、生活を築くことである
3. 予期せぬできごとはむしろ意図的につくりだすこと
4. キャリアの選択肢はいつでもオープンにしておくこと
5. 予期せぬできごとがどうなるか探索するために行動をおこすこと
6. 失敗も学習のひとつであり、そこから学ぶことも多い
7. スキルは学習できるものであるという前提で仕事を選択すること
8. "引退"はまた同時に別のかたちで他人のための支援をおこなうスタートでもある
こうして見ると少し抽象的ですが、これをまさに具体的に表現しているのが、『Connecting the dots』『Stay hungry, stay foolish』で知られるスティーブ・ジョブズ氏のスピーチです。
2005年にスタンフォード大学の卒業式で行われたスピーチですが、17年経った今でもまったく色褪せていません。
▼以下、日経新聞より引用
まずは、点と点をつなげる、ということです。
私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。
・・・
私は本当にスタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。
・・・
多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。
・・・
自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。
もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。
・・・
もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ...、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
どうでしょう、まさにこのお話がクランボルツの『計画された偶発性』そのものじゃないでしょうか。現在のような不確実な時代を生き抜くためのヒントがぎゅうぎゅうに詰まっているような気がします。
いつか偶発的におとずれるものを「チャンス」と捉えられるように、「今(=点)」にしっかり集中して生きていきたいですね。
それでは今日はこのへんで。シリーズ次回にご期待ください!