転職成功者インタビュー

大塚メカトロニクス株式会社
野村博樹さん(仮名・機械設計) 31歳

何もしないうちからあきらめるのは、もったいない。動けば、出会いはある。

広島の大学院を修了後、地元の機械メーカーに就職、設計エンジニアとなった野村さん。だが28歳のときに最初の転機が訪れる。会社が同業他社と合併し、本社も設計部門も東京へ移ることになったのだ。

「地元を離れたくない」という妻を説得して上京。東京で好きな仕事に没頭するのは楽しかった。だがその一方で、身寄りがいない大都会で幼い2人の子どもを育てる妻の苦労も、痛いほど感じていた。

3年の東京生活の後、広島へのUターン転職を決断。「広島へ帰ったことで、家族が落ち着いた」と喜ぶ野村さん。自身も、まったくの異業種ながら、希望していた機械設計の職を得た。

「地方での仕事の選択肢は限られている。でも、その中からベターなものを選び、ベストだったと思えるように努力すれば良いのではないでしょうか」と語る、野村さんの転職ストーリーを紹介する。。

※本記事の内容は、2015年1月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで45日間

転職前

業種
機械メーカー
職種
機械設計
業務内容
小型農業機械の設計

転職後

業種
機械メーカー
職種
機械設計
業務内容
車両検査装置の設計

3年間、東京で暮らしても変わらなかった、妻の思い。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

広島に本社がある装置メーカーで機械設計に携わっています。国内外の自動車工場や車検場に、ヘッドライトテスターなど、さまざまな検査システムを供給している会社で、社員は30名ほどですが、ソフトからハードまで、すべて自社で設計できるのが強みです。

その中で私は、自動車の衝突安全システムに欠かせないレーダーやカメラ校正機、傷検査装置などの設計を任されています。

入社前のご経歴を教えてください。

広島の大学院を修了後、地元の機械メーカーで製品の設計業務に携わっていました。ところが就職して3年後に同業他社と合併することになり、本社が東京に移転しました。そこで私も東京へ異動し、新本社で新製品の実験や評価業務に携わっていました。

転職のきっかけは?

やはり東京への異動です。本社だけでなく、設計のメインも東京に移ると聞き『東京で仕事がしたい!』という気持ちを強く持ちました。自分のキャリアを会社のメインストリームで築きたい、と思ったからです。

しかし、第一子を出産し育児休暇中だった妻は、広島を離れたくない、と強く希望していました。。結局、私の説得を聞き入れてくれ、東京へ一緒に引っ越すことになったのですが、そのときに「3年を目処に東京で暮らしてみて、それでも帰りたいと思ったら、広島へ帰ろう」と話しました。

東京での生活はいかがでしたか?

仕事は充実していました。多くの人と出会い、新しいことを学ぶことができました。しかし、東京で2人目の子どもが生まれたこともあり、頼れる人がいない中での子育ては、妻にとって本当に大変だったようです。「広島に帰りたい」と頻繁に口にするようになっていました。

そして、3年半が経過した頃、妻が「職場復帰したい」と希望したことがきっかけで、転職活動を始めることになりました。 私もちょうど開発プロジェクトを終えたところで、『帰るなら今かな』というタイミングでもありました。妻には3年間頑張ってもらったので、次は私が頑張る番だと思いました。

転職活動はどのように進めましたか?

まず、転職経験のある友人や先輩方の体験談を参考に、大手人材紹介会社と地域に特化したリージョナルキャリア広島の2つに登録し、転職活動を進めました。

入社を決めたポイントは?

実は、大手のエージェントからの紹介で、先に内定をいただいた会社がありました。その会社は規模も大きく、妻の職場にも近く、とても便利でした。しかし、最終的には自分のやりがいを優先し、今の会社を選びました。

今の会社は、規模は小さいながらも製品全体に関わることができますし、自分の頑張り次第で会社の成長に関わることができそうだ、と感じたことが大きなポイントでした。また、中途入社の人が多く、自分にとっても仕事がしやすそうな環境だったことも決め手になりました。

ベストではなくても、ベターなものを選べばいい。ベストにしていくのは、自分自身。

転職していかがでしたか?

とても働きやすいです。皆良い方ばかりで、職場の雰囲気も和やかです。昼休憩には一緒にサッカーをして楽しむこともあります

仕事は、機械設計という大まかなカテゴリーで見ると基本的なことは変わりませんが、長年経験を積まないとわからない製品特有のノウハウもありますので、大変な部分もあります。『上司と同じ年齢になったとき、同じ技術レベルに達しているのか』という不安もありますが、仕事の幅は広がっているので頑張り甲斐があると感じています。

電気系などの新しい知識を身につけたり、現場を知るために取引先の工場へ装置の設置に出向いたりすることもあります。この1年間で、全国各地はもちろん、中国やメキシコにも出張する機会がありました。これまでにない経験ができて、とても楽しいです。

困っていることや課題はありますか?

仕事面での課題は多いです。今までは手持ちの機械しか設計したことがなく、電気系の部品を使う機会もあまりありませんでした。しかし今は製品の規模も大きくなり、配線にも気を配らなければならないため、電気の知識をさらに身につける必要があります。

また、機械の設置経験が無いにもかかわらず、設置現場では指示を出す必要もあるので、なかなか大変です。練習できる機会も少ないので、経験を積みながら、設置の技術を向上させなければなりません。

今後の課題は、基本設計を自分で考え、多くのお客さまが必要とする装置を作っていくことですね。

生活面の変化はありましたか?

広島はやっぱり落ち着きますね。安心感があります。お好み焼きも美味しいし。東京に行ってからますますカープファンになったので、カープの中継がたくさん見られるのは嬉しいですね(笑)。

そして帰宅時間が早くなりました。以前は毎日夜遅くまで会社にいましたが、今は18時~19時には帰宅できるようになりました。妻も満足してくれているようで、家族が落ち着いたように感じます。

また、お互いの両親にも孫を会わせやすくなりました。東京にいた頃は年に1回帰れるかどうかだったので。子どもにとっても、面倒を見てくれる人が多いほうがいいように感じています。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

「地方には仕事がない」という声をよく聞きますが、何もしないうちからあきらめてしまうことが、一番もったいないと思います。私の場合、転職活動に充てられる期間が限られていたため、多くの企業を見ることができませんでした。

しかし、その中で良い選択をすることができたと思います。限られた選択肢の中にベストなものはなくても、ベターなものを選ぶ。そして入社後の努力で『ベストだった』と思えるようにしていけば良いのではないでしょうか。

私も以前はまったく知らなかった業界と会社に転職しましたが、楽しく働けています。実際に活動をしてみたら、出会いはあると感じました。ただ、ベターなものを選ぶためには、優先順位をしっかり考えておくことも必要だと思います。また、家族の理解も重要ですので、自分の考えや転職活動の経過をしっかり伝えることも大切だと思います。

担当コンサルタントから

チーフコンサルタント 
原田 昌和

東京で暮らしながら、東証一部(現:プライム市場)上場メーカーで設計業務を担当していた野村さん。地元広島へUターンしたいとのことで、エントリーいただきました。Uターン後のキャリアイメージをお聞きすると、「モノづくり全体に広く携わっていきたい」との力強いお言葉。そこで、その希望にマッチする大塚メカトロニクス(入社当時は中央電子計測)社をご紹介させていただきました。

前職の上場メーカーと比べると規模感には差がありましたが、その分一人あたりのレバレッジが大きく、早期に広く経験を積める環境であるため、野村さんのキャリアイメージに最も近い会社として、自信を持ってお勧めしました。

面接や工場見学の際にはそうした同社の特徴を実感いただくこともでき、ご入社を決めていただきました。誠実な人柄が際立つ野村さん。ご自身の志向やキャリアイメージに真摯に向き合い、ブレることなく転職活動を進めたことが今回の結果に繋がったのでは、と感じています。

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