Uターン・Iターン転職 その後のREAL

常石造船株式会社 西垣 直樹さん(仮名)

ふるさとは、ずっとそこにあると思っていた――離れて気づいた地元への思いと、Uターンという選択。

常石造船株式会社

西垣 直樹さん(仮名)

インドから日本(広島)へ/2017年10月入社

更新日:2026年10月14日

※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

プロフィール

広島市出身。東京の大学を卒業後、静岡県にある自動車関連メーカーに入社。海外営業や海外通商業務を経て、インド新工場の立ち上げプロジェクトに参画。2016年からインドに駐在し、現地での組織づくりや拠点立ち上げに携わる。第三子の誕生をきっかけにUターン転職を決意し、常石造船株式会社へ入社。海外事業や工場での工程管理を経て、現在は経営管理部で海外拠点に関わる案件などを担当している。

はじめに

インタビュアー

西垣さんにとって、今回の転職はUターン転職になるんですよね。

西垣さん

そうですね。もともと実家が広島市で、転職先は福山市になりますが、インドから日本の広島県に戻ったという意味ではUターンですね。

インタビュアー

実際にUターン転職をしてみて、率直にいかがですか?

西垣さん

自分にとっては初めての転職でしたし、前の会社には12年半ほどお世話になっていたので、不安はいろいろありました。

このまま続けるのか、ここで転職するのか。その時、やっぱり「今かな」と思ったんですよね。

インタビュアー

そう思ったのは、いくつかのタイミングが重なったからですか?

西垣さん

自分が積んできたキャリアという面ではインドの工場立ち上げが形になって、自分個人の実績としてもある程度の形ができてきた。そこに、家族が広島にいて、第三子が生まれてくるタイミングが重なりました。

自分としても子育てには関わりたかったですし、家族が離れて暮らしているとやっぱり難しいだろうなと思っていたので。そのタイミングで転職を選んで、実際にこちらに来てみて、あの時の判断は良かったんじゃないかなと、総じて思っていますね。

第三子の誕生をきっかけに、インド駐在からUターンへ

インタビュアー

一番大きなきっかけって何だったんですか?

西垣さん

直接的には、第三子が生まれることですね。そこで自分の気持ちがはっきり変わりました。

インド駐在は半年経ったら家族も帯同していいという話だったので、自分としては最後まで家族と一緒にいるつもりでした。最初は一人で行って生活環境を整えて、仕事にも慣れてから家族も帯同して、しばらくは一緒に生活していたんです。

ただ、その後に第三子を授かって。妊婦健診などはインドでも受けていましたが、出産となると、何かあった時のリスクを考えて、やっぱり日本かなと。

インタビュアー

出産に向けて、ご家族はどうされたんですか?

西垣さん

それで妻と子どもたちには先に帰国してもらいました。その時に、「これでもう一回家族をインドに連れてくるのは無理やろ」と思ったんです。

自問自答を続けた結果、会社にはどうしても迷惑をかけることにはなるが、ある程度リスクを負ってでも、自分で決められるようにした方がいい。そう考えて、転職先を探し始めました。

インタビュアー

ご家族が出産のため広島へ移られた頃には、Uターン転職も現実的な選択肢として考えていたんですね。

西垣さん

そうですね。すぐに決まるかどうかは分からないですけど、「探す」という選択肢は自分自身が持っていないといけないと思っていました。

「なんで自分、ここにいるんだ」――地元を離れて、初めて芽生えた思い

インタビュアー

もともと、いつかはUターンしようと思っていたんですか?

西垣さん

大学入学とともに広島を離れましたが、その頃はふるさとって、自分がどんなに成長しても、ずっとそこにあって、離れていても見守ってくれる、帰省すると温かく迎えてくれる、そんな存在だと信じていたんですよ。

実際には社会人になる頃を境に祖父母の世代がだんだん亡くなるようになると、「なんでずっとそのままそこにあると思ってたんだろ」という思いが募るようになって。

自分はそんなに地元志向が強い方ではないと思っていたんですが、やっぱりいつか帰るべき場所なんだと意識するようになりました。

インタビュアー

そう感じるようになった、具体的なきっかけがあったんですか?

西垣さん

一番最初に亡くなったのが母方の祖父で、ちょうど前の会社に入社する前日だったんです。入社日は恥ずかしながら涙を浮かべながら会社に向かっていました。

その時点で、自分の中では一度ボタンを押されているんですよね。「あれ、なんで自分、静岡にいるんだ」って。ふるさとと自分の立ち位置が初日からグラグラ揺らぐような思いでした。

とはいえ、入社してすぐに辞めるわけにもいかないですし、海外に関わる仕事がしたくて実際にその希望に沿う形で採用してもらった以上、ここで海外と関わる業務経験と実績を積んでふるさとに還元できるくらいでないといけない、と。

そうでないと自分の中でも踏ん切りがつかない。だから、その時すぐに帰るという選択肢はなかったんです。

インタビュアー

グラグラ揺らぐ感覚って、どういうものだったんですか?

西垣さん

根っこがないという感覚というか。地元にいる時はそんなふうには思わなかったんですけど、離れてみて、そういう思いが自分の中にあることに気づきました。

家族で広島へ、地元ではじめる新しい家族の形

インタビュアー

Uターン転職をして、ご家族はどんなふうに感じているんでしょうか?

西垣さん

子どもたちは、物心ついた時にはもうこちらにいたので、環境には自然と溶け込んでいますね。

それに、以前は子どもたちに体調面の不安がありましたが、こちらに来てからは比較的過ごしやすくなりました。気候の違いなのかは分からないですけど、子育てをする環境としては、空気もいいですし、山も海も近いので、いいのかなとは思っています。

インタビュアー

奥様はいかがですか?

西垣さん

妻にとっては生活環境や人間関係を新たに築く必要があり、難しい面もあったと思います。

それでも、こちらでママ友を作ったり、親子で参加できるスポーツ教室に参加したり、新しい家族生活の基盤を築いてくれていることに感謝しています。

ただ、私自身、人生の長い過程で考えれば、これからずっとここにいるかどうかは分からないとも思っています。

インタビュアー

というと?

西垣さん

例えば子どもたちが成長した時には違う選択肢もあるのかもしれない。ただ、ある程度の年齢のところで一度戻って、自分自身の地元と改めて向き合いたいし、何かしら地元で貢献したい。子どもを育てるなら、自分が育った広島にも関わりをもって育ててみたいという思いもありました。

海外事業で入社し、工場を経て経営管理へ。広がった仕事の幅

インタビュアー

入社されてからのキャリアは、どんな流れだったんですか?

西垣さん

もともとは海外事業という形で入社しました。入社した頃は、東南アジア方面で案件がいくつかあったんですけど、異業種からの中途採用だったので一旦、研修という形で工場や他の部署を見て回る機会を頂きました。

インタビュアー

それぞれ、どのくらいの期間経験されたんですか?

西垣さん

工場に4ヶ月、その後は今いる経営管理の部署にも5ヶ月ほどいました。その後、一度海外事業に戻って、海外と絡む案件に対応していたんですけど、特に新規案件に関わるようになるとむしろまだ足りないものを痛感することもあって。

先々を見据えると今、きちんと工場のことをやらせてください、と自分から希望して工場に行きました。

インタビュアー

そこはご自身から希望されたんですね。

西垣さん

そうですね。工場では3年余り、工程管理などを担当しました。もともとの畑とは全然違う仕事ではあったんですけど、前職でも工場の立ち上げで日々工場と接していたので、自分の中では比較的入りやすかったですね。

その後、今の経営管理の部署に移りました。もともとあった海外事業の部署も経営管理に吸収されていて、今は「海外事業」と銘打った仕事というより、さまざまな案件の中で海外に関わる形になっています。

今でも海外の案件や拠点に関わることは多くて、結果として海外との接点は結構持たせてもらっていますね。

年収は約6年で前職水準まで回復

インタビュアー

給与の面では、転職前後でどのくらい変わりましたか?

西垣さん

前職では、海外赴任手当が上乗せされていたので国内勤務時の給与と単純に比較するのは適切ではありませんが、転職時の提示額は赴任手当を除く総支給額ベースでも減収でしたので、このまま受けていいのかなという迷いは正直ありました。

インタビュアー

それでも転職を決められたのは、どういうところだったんですか?

西垣さん

内定を頂くまでのスピード感、即断力に加えて、自分自身のキャリアも踏まえてできるだけの誠意をもって採用したいという熱意を感じました。

そのような会社であれば、自分自身がこれまでの経験を活かしてもう一度しっかり頑張れば、また引き上げることはできるはず。前々から頭の片隅で描き続けてきたUターンに動くなら今が好機ではないかと覚悟を決めました。

インタビュアー

前職の国内勤務時の水準まで戻るのに、どのくらいかかりましたか?

西垣さん

基本給ベースで追いついたのが、入社してから6年くらいですね。

その後も給与は上がっていますし、最近は会社としても給料を上げているので、年収ベースでも前職時代に並んだか、少し抜いたくらいの感覚はあります。

インタビュアー

生活全体で見ると、また違いますか?

西垣さん

生活が安定したことで妻も仕事を探せるようになりました。インドにいた時は自分一人で稼がざるを得ない状態だったので、世帯全体で考えると、今の方が幾分いいのかなとは思います。

「やらない後悔」はしたくなかった。今も、あの時の判断は正しかったと思う

インタビュアー

ここまで伺うと、Uターン転職は総じて良かった、という感覚ですか?

西垣さん

そうですね。もちろんすべてがバラ色だったわけではないです。今お話しした給与面もそうですし、これまで築いてきたキャリアも一旦は白紙というのか、環境を一から作り直すことになった。家族がどこまで理解してくれるかというのも難しい問題で、キャリア上で一区切りつけられそうなタイミングと、家族の出産帰国のタイミングが偶然にも重なった面も大きいです。

それでも、自分自身としては、あの時この選択をしたことは正解だったと思っています。

インタビュアー

それはどうしてですか?

西垣さん

やっぱり、やらない後悔はしたくなかったんですよね。自分の中に「帰りたい」という思いがあるなら、少なくとも一度は帰る道を探した方がいい。それはインドに行く前くらいから思っていました。

結果的には、第三子が生まれることが、そのボタンを強制的に押したような感じだったんですけど。

インタビュアー

もし、あの時動いていなかったとしたら?

西垣さん

まず、コロナ禍を家族がバラバラのまま、どう過ごしていたんだろうと思います。自分はインドで身動きが取れない。妻は幼い子ども3人を抱えている。ずっと実家に頼るわけにもいかないですし、かなり厳しかったと思います。

それに、仮にコロナ禍が無かったとしても、もしそのまま前職に残っていたら、「なんであの時帰ろうとしなかったんだろう」と、たぶんずっと思っていたと思うんです。

インタビュアー

前職の仕事自体は、どうだったんですか?

西垣さん

前職の仕事自体には全然不満はなかったですし、仕事も楽しかったです。でも、その思いをずっと抱えたまま定年まで頑張れるかと言われると、それは難しいなと。「やっぱり帰ればよかった」という思いを抱え続けるのは嫌でした。

家族にとっても、このタイミングが一番いいんじゃないかというのは、あの時も思いましたし、今でもそう思っています。

だから、探さないという選択肢は少なくともなかったですね。9年前のあの時点で動いたことは、自分の中では良い判断だったと思っていますし、9年後もそう胸を張れる自分でありたいですね。

インタビュアー

「帰る」という選択をしたこと、そして9年近く経った今も、その判断を「正しかった」と思えていることが、とても印象に残りました。これからもますますのご活躍をお祈りしています。

西垣さん

ありがとうございました。

編集後記

コンサルタント
植田 将嗣

西垣さんが「すべてがバラ色ではなかった」とおっしゃったように、Uターン・Iターン転職では、仕事だけでなく、家族や給与など、さまざまな葛藤が生じます。現状を維持するのか、動くのか。もし動かなかったら……。

「やらない後悔はしたくなかった」とおっしゃっていますが、実際にその決断をするのは、やはり簡単なことではないのだろうと思います。

「ふるさとは、ずっとそこにあるものだと思っていた」というお話も印象的でした。私自身、社会人になってから地元を離れていないので、もしかしたら、そうしたことを意識する機会が少なかったのかもしれません。

自分や家族、そしてこれからの人生について、より自覚的に生きていかなければならないな、と感じさせられるインタビューでした。西垣さん、この度はリアルなお話を聞かせていただき、ありがとうございました。引き続き応援しております。

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