転職成功者インタビュー

株式会社ロンビック
東山実さん(仮名・エンジニア) 40歳

液晶ガラス技術者として15年。リストラ・事業所閉鎖の嵐を抜け、安住の地で再スタート。

「前の会社が嫌だったわけでなない。できることならずっと働き続けたい会社でした」-40歳で初めての転職を経験した東山さんは前職への想いを語る。

15年間勤めた会社は、業界の盛衰の流れに逆らえず国内事業所を閉じることになり、会社に残っても日本に軸足を置いた働き方は望めず、東山さんは転職を余儀なくされた。

ずっと携わってきた液晶ガラスの世界に見切りをつけ、新天地を探した技術者の武器となる能力は何だったのか。焦る気持ちを抑えて見極めた転職先で手に入れたものは何か。その経緯を紹介する。

※本記事の内容は、2017年5月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで59日間

転職前

業種
ガラス基板メーカー
職種
エンジニア
業務内容
製品開発、海外での顧客対応ならびに営業推進

転職後

業種
化学樹脂メーカー
職種
エンジニア
業務内容
顧客からの要望で樹脂の混練・評価を実施、予算の策定ならびに管理、社外プレゼン資料作成 など

片道切符の海外赴任か退職か。選択を迫られ転職を決意。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

株式会社ロンビックは、樹脂(プラスチック)材料の開発・製造を行っている会社です。私は技術開発部に所属し、樹脂の混練技術の開発に携わっています。

樹脂というのは材料の混ぜ方や温度のかけ方によって性質が変わりますので、顧客の要望に応じて製品のクオリティを追求していく仕事です。

とはいえ、前職のガラス業界から転職して半年ほどですから、樹脂の専門知識は勉強中で、今はどちらかというと、予算策定や管理、社外プレゼン用の資料作成など、管理業務の比重が大きいです。

入社前のご経歴を教えてください。

三重県出身で、三重大学工学部に進学し、大学院までガラスの研究をしていました。大学院修了後、ガラス基板メーカーに就職。液晶ガラスの製品開発に携わり、退職した頃は海外の顧客対応や営業推進なども担当していました。

今回の転職のきっかけは?

昨今、日本の液晶業界は急速に勢いを失いつつあります。前職も例外ではなく、事業の縮小や何度かのリストラを経て、ついに日本国内の事業所を閉鎖することが決定しました。

私も希望退職者の募集に応募したものの、会社からは残留を要請されました。しかし、会社に残っても国内の事業所はなくなってしまう。中国か台湾の事業所に赴任するか、会社を辞めるしか、選択肢はありませんでした。

前職では海外出張も多く、韓国での単身赴任も経験していたので、海外勤務に抵抗はありませんでしたが、戻る場所のない片道切符の海外赴任は受け入れ難いものがありました。

40歳でしたので迷いもありましたが、退職した同年代の同僚を見ていると、少し時間はかかったとしても再就職できていたので、なんとかなるのではないかという気持ちもありました。

転職活動はどのように進めましたか?

いくつかの転職サイトにエントリーしました。条件は、まずは日本が本社の会社であること。そして、子どももまだ小さかったので、なるべく地元の三重県内がいいと思っていました。液晶業界はもういいなと思ったので、他の業界に幅広く目を向けるようにしました。

また、30代~40代で持ち家を持っている人は、やはり地元で次の仕事を探しますから、先に退職した約20人の同僚と、転職に関する情報を共有していました。

そのなかで、「リージョナルキャリア三重という、三重県に特化した転職支援会社がある」という話を聞いていたので、活動を始めてすぐにエントリーしました。

履歴書を出しても選考まで辿りつかないことが2~3度あった後、リージョナルキャリア三重のコンサルタントから、「紹介してみたい会社がある」と話を持ち掛けられたのが今の会社です。 公に募集はしていなかったのですが、コンサルタントから打診してもらい、一度会ってみたいという話になりました。そこから内定まではスムーズでした。

今の会社に決めた理由は?

管理職が長かったので、リーダー的な役割を求められているという感触があり、経験を活かせるのではないかと思いました。ずっとガラスを扱ってきたので、樹脂の知識はなかったのですが、「どちらも熱で融かすという点では一緒かな」、と考えていました(笑)。

最終的には、三菱ケミカルという大手企業のグループであること、そして三重で働けることが決め手となり、入社を決めました。

技術者として、管理職として、父親として。地に足をつけた新生活。

転職していかがですか?

仕事の進め方が何事においても堅実です。その点は前の会社とまったく社風が違うので、最初は少し戸惑いました。

少しずつ慣れてきましたが、一方で、会社としては他社から入ってきた人材には、なにかしらの新風を吹き込んで欲しいという期待もあると思います。ですから、「郷に入って郷に従う」ばかりではなく、少しずつ自分の色を出していきたいと考えています。

最近では、他の企業や大学と組んで、新しい材料を作る取り組みに関わっているのですが、毎日新しい発見があります。樹脂の知識はほぼゼロからのスタートでしたが、周りにはプロがたくさんいて、わからないことがあれば誰でも教えてくれる環境です。

転職して良かったと思うことは?

生活が安定したことが一番大きいと思います。前職ではリストラする側も、辞める側も経験しました。それは貴重な経験と言えるのかもしれませんが、やはり気持ちのいいものではありませんでした。

それに比べると、現在は会社自体が安定しているので、どっしりと腰を据えていろいろな仕事ができるのではないかと思いますし、自分自身のメンタル的にも安定したと言えます。

困っていることや課題はありますか?

樹脂の知識が少ないので、技術的に的確なことがあまり言えないことでしょうか。新しい材料開発のプロジェクトに携わるようになったのも、会社からの「そろそろ独り立ちを」というメッセージなのだと受け止めています。

樹脂というのは何百何千という種類があり、その配合や混ぜ方によって可能性は無限にある材料。しかも最終的な製品は私たちの生活に密着した、あらゆるところに使われています。

ずっと液晶用ガラスという特化した製品を作ってきた私には、とても新鮮で面白い。入社して半年、樹脂に携わり始めて3カ月なので、まだ入り口の入り口ですが、これから覚えていくべきことは多いと思います。

生活面の変化はありましたか?

前の会社では15年働きましたが、ほぼ半分は海外で働いていた感覚です。海外出張が多く、1カ月くらい留守にするのが日常でした。

今は出張があっても日帰りで、決まった時間に出かけて決まった時間に帰る。私が毎日家に帰ってくるので、子どもから「仕事に行ってるの?」と聞かれたことがありました(笑)。

今は日常的に子どもの宿題を見たり、週末に出かけたりしています。こういう生活は、以前では考えられなかったことですね。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私の転職活動では、技術職も営業職も品質管理職も受けました。そうする中で、「自分はその仕事に合っているのか」あるいは、「自分にはこういうこともできそうだ」と、いろいろな発見がありました。

採用に至らなかった活動の中でもさまざまな発見がありましたし、コンサルタントとの面談でも、自分では気づかなかった能力や長所を引き出してもらえました。コンサルタントは数多くの企業を知っているので、「この人の能力は、あの会社で活かせるんじゃないか」ということを、客観的に見ることができるのだと思います。

ですから、あまり自分で可能性の範囲を決め過ぎることなく、幅広く目を向けてみると、意外と自分に合う仕事が見つかることもあるのではないでしょうか。

40歳での転職は、厳しくないと言えば嘘になります。でも、あと約20年働く会社を選ぶのですから、きちんと見極めて入社しないと、すぐに辞めたくなったら元も子もありません。最初は焦るかもしれませんが、割り切って頑張って欲しいです。

担当コンサルタントから

チーフコンサルタント 
清原 和浩

初回の面談は、東山さんの母校でもある三重大学内の当社オフィスでした。国内事業所の閉鎖が決まり、無期限の海外勤務か退職かの選択を迫られる中で、退職を決意。しかし、新卒で入社してから15年間、情熱を注いできた会社を離れることへの寂しさもお話いただき、「東山さんが次の情熱を注げる環境を何とか探したい」と強く思ったことを記憶しています。

当時、ロンビック社から求人はお預かりしていませんでしたが、化学の知識をベースに製品開発から顧客対応まで幅広く経験され、実績を残されてきた東山さんなら、分野が変わってもご活躍いただけるものと思い推薦させていただきました。

異分野への挑戦ということで、慣れない部分も多いかと思いますが、今後のご活躍を楽しみにしております。

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