富士電機株式会社
藤野瑛太さん(仮名・設計開発) 40歳
両親のために、急きょUターン。地元で最前線の開発に携わる喜び。
藤野さんは長野県出身のエンジニア。新卒で化学メーカーに就職し、38歳まで配属先の福島で、生産技術の研究開発に従事していた。仕事にも不満はなく「定年したら長野に帰ろう」と考えていたという。
そんな藤野さんのプランが早まったきっかけは、自身と妻の両親の体調悪化だった。頻繁に福島から長野へ通う日々を半年間続けたのちにUターンを決断。結果、自動車業界の最前線に携わる開発職と出会うことができた。
「予想外に大きな会社と出会え、驚きました。私自身も今回の転職で成長できたと思います。両親も一緒に暮らせるようになったことで以前よりも元気になっています」と話す藤野さんに、Uターンの体験談を伺った。
※本記事の内容は、2019年10月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 1回
- 活動期間
- エントリーから内定まで97日間
転職前
- 業種
- 半導体
- 職種
- 研究開発
- 業務内容
- 製造装置設計開発、品質および製造プロセスの研究開発
転職後
- 業種
- 電気機器メーカー
- 職種
- 設計開発
- 業務内容
- 車載用パワーモジュールの設計開発
両親を見舞うため、頻繁に福島から長野まで車で通う生活を半年間継続
現在のお仕事はどんな内容ですか?
富士電機株式会社の松本工場で設計開発の仕事をしています。私が担当しているのはEV(電気自動車)やHV(ハイブリッドカー)に不可欠な車載用パワーモジュールの設計開発です。より小型で、大電力を扱えるEVのパワーモジュール開発に取り組んでいます。
自動車メーカーからオーダーを受け、設計、試作、テスト、改良を繰り返して、量産を担当する製造部門に手渡すまでが、私の仕事。現在は20人ほどの開発チームのリーダーを任されています。
入社前のご経歴を教えてください。
長野出身で、名古屋の大学・大学院に進学し、エンジン燃焼の化学反応を研究していました。その後、新卒で化学メーカーに就職し、福島にある研究所に配属。そこでシリコン製品の生産設備の設計を5年経験した後、生産プロセスの研究開発に7年間従事しました。
転職したきっかけは?
妻も出身地が同じなので「いつかは帰郷を」とも考えていましたが、仕事に不満はなかったですし、良い会社だったので、定年退職して以降のことになるかと思っていました。
ところがある時、私と妻双方の両親の体調が急に悪くなってしまったんです。その見舞いのため、金曜日に私の仕事が終わった後、2歳の子どもを連れて車で片道4時間かけて帰省し、日曜日の夜に帰ってくる、そんな生活を半年間続けていました。
ちょうどその頃に会社から管理職を打診されたのですが、管理職になったら土日に地元に帰れるかどうかわかりません。何より、度重なる帰省を伴なう生活にも限界を感じていました。両親はこれからさらに年を重ねていきますし、体調ももっと悪くなるかもしれない。ならば私たちがUターンして、将来に備えたほうが良いと判断したんです。
転職活動はどのように進めましたか?
まずネットで検索をし、大手の転職サイトにも登録したのですが、前職と同じような業界の求人はほとんどありませんでした。そこで「長野県に特化したエージェントがいいのでは」と考え、見つけたのがリージョナルキャリア長野です。ちょうど新宿で相談会があるということだったので「話を聞いてみようか」と気軽な気持ちで参加することにしました。
私の希望は、給料の水準を下げたくないということだったのですが、そうなるとこれまでとは異分野、異業種への転職もやむを得ないかもしれない、と覚悟していました。
ところが実際は全くそんなことはなく、魅力的な会社を紹介されて驚きました。富士電機も大きな会社ですが、紹介されたもう一社も有名な大手企業だったんです。本当に予想外でしたね。
今の会社に決めたポイントは?
まずは幹部社員として評価してくれたことです。また、富士電機社は前に勤めていた会社とも取引があって、いい雰囲気の会社だと同僚から聞いていたので、そこも決め手になりました。
年収も維持どころか、少し上がりました。勤務地が決まっていたのもポイントでした。将来的には転勤の可能性もゼロではないようですが、開発部隊は松本にあるので、基本的には松本で働き続けることができそうです。
両親の体調が回復。転職によって自分の長所・短所にも向き合えた。
転職していかがですか?
入社して最初に任されたのは、仕様や価格などについてサプライヤーと交渉する仕事でした。前の会社とは全く別の分野だったので、慣れるまでは社内の資料や専門書でかなり勉強しましたし、若い社員にもこちらからどんどん質問して、教えてもらいました。
とはいえ、仕事の進め方には前職と共通する部分も多かったです。またEV用のパワーモジュールといっても、専門外の電気系ではなく、今までやってきた機械系の要素が強い仕事でしたので、なんとかやってこられました。
最初はスタッフとして従事しましたが、3ヶ月後にチームリーダーとなりました。入社前に心配した人間関係も苦労することはなく、すぐに受け入れてもらえました。
生活面でも変化がありましたか?
今は地元に家を建て、両親と一緒に暮らしています。親の様子がわかるようになったので、安心しましたね。土日も実家に帰る必要がなくなったので、そのぶん今は家でのんびりしたり、家族で買い物にいったり、当たり前の休日を過ごせるようになりました。
困ったことや課題はありますか?
仕事ではまだ「会社の文化」に慣れていない部分もあります。例えば、上長への意見の通し方など、まだときどき「自分はズレてるなぁ」と感じることがあるんです。こうした、会社によって異なる部分に慣れていくことが、いちばん時間がかかるのではないかと感じています。
転職して良かったと思うことは?
一番は両親が元気になったことです。一緒に暮らし始めたことで、両親の体調も落ち着き、精神的にも元気になったんですよ。妻の実家にも、何かあればすぐにかけつけられるので、気持ちの余裕が全然違います。また今は、地元の友達と会うことが、妻のいいストレス解消になっていると思います。週末の長距離移動も必要なくなり、生活が落ち着きました。
仕事面でも、この転職は自分の成長につながりました。働く場所が変わると、自分自身の良いところ、悪いところが客観的に見えてきます。すると、自分で改善していくべき点がはっきりするので、そこは本当に良かったと思っています。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
富士電機社の選考では、面接時に自分が持っている技術や経験をどの製品にどう生かせるか、というプレゼン資料を作り、事前に配布しました。そのためスムーズに話が進んだのだと思います。技術系の仕事をしている人なら、プレゼン資料を作る機会も多いと思いますので、転職活動時にも自分をプレゼンするつもりで資料を作ってみることをお勧めします。
また、転職支援会社を利用するメリットも実感しました。資料作りについてもコンサルタントが提案してくれましたし、先に先方の人事に話をしてくれているので、その後の展開もスムーズでした。転職支援会社を利用した転職活動は、自分で応募するのとは、相手の印象や評価も違うのではないか、と感じました。