べバストジャパン株式会社
岡村直都さん(仮名・設計開発) 37歳
妻を我慢させてきた10年間。今度は自分が頑張る番と決意しUターン。
広島で生まれ育ち、愛知県の大手自動車部品メーカーに就職、設計エンジニアとして活躍していた岡村さん。キャリアを積むごとに、仕事のやりがいは増した。だが、その一方で増えていたのが、同じく広島出身の奥さまの負担。自身は残業が多く、帰宅はいつも深夜になっていたため、周囲に頼る人のいない奥さまに、子育てや家事の一切を背負わせていた。
やがて「広島に戻りたい」という奥さんの本音を聞くことになる。それでもUターンに踏み切れなかった理由を「自分のキャリアに自信がなく、転職が怖かった」と岡村さんは振り返る。
「でも、妻の苦労を聞いているうちに、自分だけ好きな仕事をしていいのか?という気持ちが芽生えてきたんです」。そんな岡村さんを広島で待っていたのは、小さくとも、やりがいのある世界的メーカーだった。
※本記事の内容は、2014年11月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 1回
- 活動期間
- エントリーから内定まで45日間
転職前
- 業種
- 自動車部品メーカー
- 職種
- 設計開発
- 業務内容
- 自動車用トランスミッションの設計開発
転職後
- 業種
- 自動車部品メーカー
- 職種
- 設計開発
- 業務内容
- 自動車用サンルーフの設計開発
夫婦で1年話し合い、子どもが小学校に上がるタイミングで転職を決意。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
ベバストジャパンはドイツに本社を置く世界的メーカー、ベバスト社の日本法人で、自動車のサンルーフの設計を担当しています。
入社前のご経歴を教えてください。
大学院を修了後、愛知にある大手メーカーのグループ会社に就職し、自動車部品の設計業務を担っていました。開発プロジェクトのリーダーも経験し、転職する直前は係長クラスのポジションを任されていました。
転職のきっかけは?
私と妻はともに広島出身で、子育てをしていくうちに「子育てをするなら広島の方がいいね」と話すようになりました。愛知には頼れる人もおらず、私自身も残業が多く、帰宅はいつも深夜。妻は子育てや家事を1人でこなすことになり、負担がかかっていました。
しかし、広島での仕事探しに不安があっただけでなく、自分のキャリアで転職することに怖さを感じていたため、なかなか踏み切れませんでした。
それから1年ほどかけて、妻と真剣に話し合いました。そのなかで『10年間も妻に負担をかけてきたし、そろそろ私が腹をくくらないといけないのかもしれない』と考えるようになりました。そして、子どもが小学校に入学するタイミングで、広島に帰ることを決めました。
転職活動はどのように進めましたか?
複数の転職サイトに登録し、前職と同じ設計業務を希望していました。大手の紹介会社からは、あっさりと「ない」との返事がありましたが、リージョナルキャリア広島はさまざまな案件を紹介してくれました。
待遇面や勤務地、またやりがいなどの条件にぴったりと合致する案件はなかなか見つからなかったのですが、何個目かの案件で、現職を紹介してもらうことができました。
経験を活かしながら、スキルアップにも挑戦。自分のキャリアに自信が持てるように。
今の会社に決めたポイントは?
自動車メーカーと対等に仕事ができるところが魅力でした。初めて聞く会社でしたが、調べてみると100年以上の歴史があり、サンルーフのシェアが世界1位という素晴らしい会社でした。
さらに、会社の規模もちょうどいいと感じました。前職では、会社の規模が大きくなりすぎたため業務が細分化され、面白みがどんどん減っていきました。現職なら、会社のトップとも直接話をすることができそうだと思い、入社を決めました。
転職していかがですか?
まず広島に帰ったことで、家族が明るくなりました。私自身もチーフクラスとして入社し、やりがいを感じながら働くことができています。サンルーフは外から見えるので非常に重要な部品です。現在、世界的に需要が高まっているため、注文が相次ぎ、とても忙しい日々を送っています。
前職で設計していた部品とは異なるため、入社前は不安もありましたが、自分のキャリアが十分通用することが分かり、自信がつきました。また、使ったことのなかった3DCADを使いこなせるようになったほか、最近では英語も話せるようになりました。踏み出すには勇気が必要でしたが、結果的に自分のキャリアアップにも役立つ、大変良い経験になったと思います。