「大分トリニータ」を軸に人を育て、大分を熱く元気に!
株式会社大分フットボールクラブ
代表取締役社長 小澤 正風
東京都出身。成蹊大学を卒業後、株式会社JTBに入社。個人・団体旅行や教育旅行(修学旅行)などの営業職を経験。2000年にチーム統括部管理課マネージャーとして株式会社大分フットボールクラブ入社。取締役営業部長、取締役統括担当、取締役本部長兼フットボール事業本部長、常務取締役等を経て2023年1月、代表取締役社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
県民・企業・行政、三位一体となって「大分トリニータ」そして「大分」を盛り上げていく。
県民・企業・行政が一体となり、世界を目指すサッカークラブチームをつくり、大分を盛り上げていこうと誕生した「大分トリニータ」は2024年に発足30周年を迎えました。
運営会社である株式会社大分フットボールクラブは、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ「大分トリニータ」(J2リーグ)の運営をメイン事業とし、スタジアムでの飲食・物販、サッカースクール運営、プロサッカー選手の育成、グッズ販売、企業とのコラボ・業務提携といったノンフットボール事業も手掛けています。
2024年1月期の決算では、売上高が18億6,100万円、最終利益は4,700万円と増収増益を達成しました。売上の内訳としては、スポンサー料収入が7億3,800万円、チケット収入が3億3,400万円で、ホーム戦では1試合あたり平均約9,000人のファンに来場いただいています。
今後はクラブライセンスグッズ制度やアジア市場の開拓にも力を入れ、収益の柱を増やしていこうと取り組んでいるところです。コロナ禍では試合の中止や無観客試合を経験しましたし、地震や台風などの自然災害も多い日本。いつどんなことが起こるかわかりません。
ノンフットボール事業による基盤があれば、フットボール事業が一時期ストップしたとしても選手や社員の雇用を守ることができます。そういった意味でも、新しい収益の柱を増やし、強固なものにしていきたいと考えています。
サッカーの未来、自ら動かす事業に魅力を感じて東京から大分へ。
私は東京生まれの東京育ちで、大学卒業後はJTBに入社して法人営業を担当していました。大学までサッカー部に所属し、社会人になってからも会社のクラブでサッカーを続けていたのですが、そのクラブで仲良くしていた先輩がトリニータのクラブ運営のために大分へ転勤したんです。
ちょうどトリニータがJ2に上がったころで、「トリニータで遠征の準備や手配などを行うマネージャーを探しているんだけど、来ないか?」と誘ってくれたのです。
JTBでは部下を持ち、グループのマネジメントも任され、やりがいも感じていました。安定した大きな企業組織を構成する一員としてキャリアを続ける選択肢もありましたが、「好きなサッカーに関わり、成長するクラブチームをマネジメントで支えて自ら動かす」仕事に魅力を感じて大分行きを決めました。
入社後はマネージャーとして遠征旅行の手配や荷物の搬送、新入団選手の家探しから引っ越しの手配・手伝いまで、何でも屋として選手のサポートに奔走していました。
そこから24年、紆余曲折ありましたが、2023年1月にクラブ初の「生え抜き社長」に就任しました。トップチームスタッフ出身の生え抜き社長というのは、Jリーグクラブの中でも珍しいケースだそうです。
「地方から世界へ」志をつなぎ、50年・100年先を見据え、改革を続ける。
トリニータ誕生のきっかけは1990年。大分県が「2002年サッカーワールドカップ」招致に動き出したことが始まりでした。地元・大分から世界を目指すサッカークラブチームを誕生させようと、1994年4月に県民・企業・行政が一体となり、任意団体「大分フットボールクラブ」を設立し、「大分トリニティ」(1999年より大分トリニータ)が誕生。2002年には、FIFAワールドカップを大分で開催することができました。
これまでは決して順風満帆なわけではなく、クラブの経営危機や合計8回の昇降格、カップ戦優勝もあればJ3降格まで、苦難の連続でした。また、責任企業がいないため、スポンサーの獲得といった営業努力がなにより重要になります。チームの成績悪化や大口スポンサーの撤退など、赤字や経営危機を何度も経験し、その都度乗り越えてきました。
そんな歴史あるこの会社を継いだ私のミッションは「つなぐ」ことだと考えています。これから50年・100年と大分トリニータが続いていくとすれば、30年目の節目で経営を任されただけだともいえます。「地方から世界へ」という志のもと、多くの方々の支援があったからこそ、今があります。これまでの歴史や先人たちの想いも背負っていきたいと考えています。
「自分たちの環境は自分たちで変えるしかない」-自主性を促し、強い基盤を築いていく。
これまで当社の社長は大分県庁からの出向者が多く、民間企業でありながら半官半民のような面があったかもしれません。もちろん、これからも大分県との連携やサポートは引き続きいただきますが、民間企業として自立し、しっかりと利益を出して地元の方々に評価される企業に成長していかなければなりません。
私が社長に就任してから、社員に伝えているのは「自分たちの環境は自分たちで変えるしかない」ということ。自分たちがしっかり稼いだお金で、自分たちの働く環境を変える。その意識を持たないと、いつまで経っても自分達の置かれている環境は変わらないし、給料も上がらない。そういった意味で、まず黒字という目標を達成できたのは、社員が意欲的に仕事に取り組んでくれている証だと思います。
当社はプロサッカーチームを運営する団体の中でも、責任企業を持たない独立した会社です。そのため、常にスポンサーを獲得し続けなければなりませんが、その分、自由度が高く、さまざまなことにチャレンジできる土壌があります。企業とコラボしてイベントを開催してもよし、新しい事業を生み出してもいい。
例えば、2024年8月11日に行われた試合では、クラブ創設30周年を記念し『進撃の巨人』とのコラボシャツを来場者2万人にプレゼントしました。これは大きな話題を呼び、来場者は満員の2万8,000人、試合も勝利に終わり、お客さまにとても喜ばれました。これも社員が企画し、提案・交渉を進め、実現させたものです。
私は社員に細かいことは言わず、任せるようにしています。自ら考え、形にし、結果を出すことが大分トリニータを強くし、多くの人に喜ばれ、会社の成長につながり、大分を元気にしていくのです。そして、子どもからお年寄りまで、たくさんの方々に「ありがとう」と言っていただける。感動や達成感のある、幸せな仕事だと思います。
「大分トリニータ」は、出発点であり挑戦の場であり、戻ってきたい場所。
地域貢献や社会貢献にも積極的に取り組んでいます。ユニフォームスポンサーであるネットワンシステムズ社とSDGs活動推進のために行っている「古着deワクチン」もその一例です。
ご家庭にある古着やランドセルを試合会場に持参し寄付していただくことで、NPO法人を通して開発途上国の子どもたちにポリオワクチンが届けられる、という取り組みです。2023年からはホームゲームに限らず、アウェイのクラブとも協同で開催するなど、社会貢献の輪がさらに拡がりつつあります。
「人を大事にするチーム」といわれるトリニータ。一旦チームを離れても、休日に大分まで遊びに来たり、世界で活躍して経験を積んだあとで大分に戻ってきてくれたりと、「自分が育ててもらったように子どもたちを育てたい」と指導者として力を発揮してくれるメンバーもいます。
私自身もそうですが、「みんなトリニータが好きで大分が好きなんだ」と、とても嬉しく思います。現役世代だけでなく、今教えている子どもたちが育ち、大分そして世界で活躍する人材になって、また大分に戻ってきてくれる。そんな循環をつなぎ続けていきたいですね。
「大分トリニータ」を、そして「大分」を元気にしたい。そんな想いを共にし、取り組む仲間を増やしていきたいと考えています。