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合言葉は「共有・共感・共創」。時代に合わせた進化をこれからも。

株式会社BSNアイネット
代表取締役社長 南雲 俊介

新潟 更新日:2024年11月06日

新潟県生まれ。法政大学卒業。
1982年 株式会社BSNアイネット入社。プログラマー・SEとして従事。
1987年 東京支社の立ち上げメンバーとして、営業に従事。
1989年 新潟本社、長岡支社、上越支社にてマネジメント業務に従事。
2016年 代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

OA業界に魅力と可能性を感じて入社を決めた。

私は高校時代までを新潟で過ごし、東京の大学を卒業後の1982年にBSNアイネットにUターン就職しました。当時はOA(オフィスオートメーション)という言葉が出始めた時代で、今のようにITが当たり前に浸透していなかった頃です。就職活動の中で地元新潟にBSNアイネットという会社があることを知り、「OAはこれから伸びる可能性がある分野かもしれない」と興味を持って入社を決めました。

地元テレビ局のBSN(新潟放送)のグループ会社として設立された当社は、1980年代には電子計算センター業務を中心事業としていました。地元企業や自治体からデータをお預かりし、キーパンチャーと呼ばれるデータ入力専門の社員がデータを打ち込み、大型コンピューターで計算した結果をお客さまに納めるのが主な業務内容です。

当時は企業や自治体の多くが大型コンピューターを持っておらず、大量のデータ処理は当社のような会社が請け負うしかない時代でした。当時200人ほどいた社員のうち、キーパンチャーは1/4にあたる50人ほどだったと記憶していますので、それほどデータ処理に関してお客さまからの依頼も多かったのだと思います。

急成長する業界で奮闘。開発・営業・管理職…さまざまな業務への挑戦。

私が入社した当時のコンピューターはまだアルファベットしか入力できなかったのですが、そこから数年後にワープロが登場し、漢字が入力できるようになって非常に驚いたのを覚えています。急速なIT環境の変化の真っ只中で、あっという間に技術が進歩していく時代でした。

同時に市場も過渡期を迎え、大型の電子計算機を動かす時代から、企業向けに開発したシステムを導入する形式が普及し始めました。私が担当していた業務はこのシステム開発分野で、お客さまの業務システムを構築するプログラマー・SEとして3年ほど働きました。

その後、会社が東京支社を設立することになり、私も立ち上げメンバーとして当時の支社長とともに上京しました。その時の支社長が後に社長となるのですが、そんな人と一緒に働けたことでさまざまな経験ができたので本当に感謝しています。

東京ではソフトウェア開発を受託するための営業活動を担当し、新規開拓を進めました。最初はまったく手応えが得られませんでしたが、2年目からようやく仕事をいただけるようになり、仕事が楽しくなってきた3年目に新潟本社へ戻ることが決まったのです。

少し名残惜しい気持ちもありつつ、本社では民間企業を相手にする営業部門のプレイングマネージャーとして、自分自身でも営業をやりながらマネジメントを担当するようになりました。

挑戦の歩みを止めない!BSNアイネットの事業拡充の軌跡。

新潟に戻った1989年頃は、Windowsの普及をきっかけにパソコン市場が活性化していました。ちょうど同時期に、私はアメリカのIBM本社へ視察に行く機会を得ました。その際、現地の担当者が「近い将来、今使っているパソコンが数百倍・数千倍の性能に変化する」と言っていたのですが、実際の市場はそれを超えるスピードで変わっていきました。

1980年代から90年代は、BSNアイネットも従来型の電子計算業務から抜け出して、どこに事業の柱を据えるかを追い求めていた時期です。自治体からの受託業務にとどまらず、民間企業や医療分野、ソフトウェア開発分野というように、事業の多角化を続けていました。今振り返ると、当社は新潟という地方でも次々と事業を拡充していたチャレンジングな会社だったのではと思います。

1990年代の半ばにはインターネット環境が整備され始め、お客さまのニーズも様変わりしました。少しでも学習や情報収集を怠るとあっという間に置いていかれてしまう時代でした。今でもITの変化はめまぐるしいですが、そんな変化の波に右往左往しつつもさまざまな挑戦をしてきたからこそ、今日のBSNアイネットがあるといえます。

「和して流せず」の精神が築く、部下との信頼関係。

その後もさまざまな部署の業務を経験し、長岡や上越支社の支社長も務めましたが、マネジメントをする中で私が大切にしてきたのは「聞く力と話す力のバランス、そして信頼関係を構築・維持していくための関わり方」です。

私の座右の銘は「和而不流(和して流せず)」。周囲の人と協調して良い関係を築きつつ、信念を持って流されることなく言うべきことは言う。そういった人間関係を育てたいと考えて、部下との関わりを大事にしてきました。

かつては技術を極めることが求められ、当社もそんな人材にウエイトを置いていた時期がありました。しかし、今はそこから大きく変化しています。

私が好きな言葉の一つに「CONNECT(コネクト)」があります。製品・サービスをつなぐ力に加え、お客さまとの関係性をつないで仕事をいただくことや、地域社会と当社がどのようなつながりを持てば相乗効果が生まれるのかを考えること。今の時代はそんな視点が求められています。

キーワードは「共創」-BSNアイネットが大切にする採用の軸。

当社が採用の場面で重視するのは、スキルよりも「当社のビジネスに共感し、共に未来を歩んでいけるか」という点です。つまり、「お互いに共創できる関係性を作れるか」が大切なのです。会社と人材は単なる雇用関係ではなく、同じ方向を見て進む仲間でなくてはいけません。それこそがエンゲージメントであり、会社の業績を伸ばしながら社員自身も幸せになるために大切なことです。

面接の際、私はできるだけ応募者の方の人間的な魅力や考え方に触れるように心がけます。その中でも物事に対して複合的な思考ができる方は魅力的に感じますね。さまざまな角度から課題を見つめて、アイデアから具体的な解決策へ落とし込んでいける力は、デジタル革新のスピードが加速するこれからの時代にも必要不可欠です。

技術的なスキルは入社後にいくらでも習得可能ですから、当社では理系出身に限らず新卒・中途の幅広い人材を採用し、お客さまや地域にさらなる価値提供ができる会社を目指しています。

社員と共に未来を切り拓く!新潟発の革新企業を目指して。

当社は全国にお客さまがいらっしゃいますが、新潟発の企業ですから今後も地域にしっかりと根差した活動を基盤としたいと考えています。少なくとも新潟県内では、社名を言った瞬間に「あの会社ですね」と分かる、郷土を代表する企業でありたいと思います。

創業から間もなく60周年を迎える当社は、県内のIT企業としては古株のため、もしかすると老舗のような重厚感をイメージする方が多いかもしれません。しかし、実際は守りに入ることなく、変えるべきところはしっかり変化させながら、時代の流れに合わせたさまざまな事業に挑戦してきました。

ですから、当社にこれから入社する方も「長く続いている会社だから安心だ」という安定志向の発想ではなく、変化する社会環境に合わせて「自分たちに何ができるか」を考えるマインドを持っていてほしいです。

一人ひとりの気づきやアイデアを大切にし、地域やお客さまの課題を見つけてチームで解決に向かう。そこに面白さを見出し、未来を創り上げられる人と一緒になって事業を成長させていきたいと考えています。

編集後記

コンサルタント
中村 麻優

今回のお話を伺うまでは、正直なところ「重厚感」や「安定感」といった企業イメージがありました。しかし、常に変化をとらえつつ、人やモノ、地域社会などさまざまなもの同士の繋がりを大事にする企業であることがわかり、良い意味で同社への印象がガラッと変わったインタビューとなりました。

語り口が非常に穏やかで、社員との関係性もとてもフラットな南雲社長でしたが、今後の会社の展望や採用についてお話しする際の力強さからは、「今後も会社をより良くさせていく」という強い情熱を感じられました。

同社が新潟に根差し、新潟の誰もが知っている会社であり続けられるよう、今後もご支援していきたいです。

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