チャレンジ精神を育む自由闊達な風土が「感動を生む価値創造」の源泉となる。
ヤマハ発動機株式会社
執行役員 人事総務本部長 橋本 満
石川県出身。大学卒業後、電機メーカーに入社。営業職を経験後、退職して司法試験に挑戦。2005年、ヤマハ発動機に入社し、法務に関わる各種業務に携わる。経営企画、管理会計を経験したのち、2013年にインドネシアの現地法人 YIMM(PT. Yamaha Indonesia Motor Manufacturing)へ出向。翌年にはベトナムの二輪車製造・販売会社YMVN(Yamaha Motor Vietnam Co., Ltd.)へ。2018年、企画・財務本部経営管理部長として帰任。2020年、ヤマハ発動機ビズパートナー(株)代表取締役社長を経て2022年、執行役員 人事総務本部長に就任。ヤマハ発動機が目指す「感動創造企業」の実現に向けた人材戦略の指揮をとっている。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
二輪車の開発技術から発展させた多彩な製品で新しい市場を創造。
ヤマハ発動機は1955年、日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)のオートバイ製造部門が分離独立して誕生した会社です。最後発で参入したオートバイ市場に斬新なカラーとデザイン、日本車初のプライマリーキック方式を採用したヤマハモーターサイクル第1号「YA1」を送り出し、その技術を発展させることでボートやスノーモビル、産業用ロボットなど様々な製品を生み出してきました。
設立当初からの基幹事業である「ランドモビリティ事業」。船外機・水上オートバイ・プレジャーボートを主力商品とする「マリン事業」。プリント基板の上に電子部品を実装するサーフェスマウンターや産業用ロボット、アンマンドシステム(産業用無人ヘリコプターなど)を手がける「ソリューション事業」。これらを中心とした多彩な事業展開により、当社製品の活躍の場は180以上の国と地域に広がっています。
国内に約1万人、世界中で5万人を超える従業員が在籍するヤマハ発動機が目指すのは、「感動創造企業」。世界の人々に新たな感動と豊かな生活を提供するために、新しい市場の創造と新しい価値の提案にチャレンジし続けています。
31歳、実務未経験。営業から法務へのキャリアチェンジに挑戦。
新卒で入社した電機メーカーでは、営業職として働いていました。しかし、企業での経験を重ねるにつれ、もともと法学部の出身だったこともあって企業法務を志すようになり、キャリアチェンジを目指して退職。司法試験に挑戦しました。
残念ながら合格できなかったため、法務に携わる仕事を求めて転職活動を始めました。ところが、私には法務業務の実務経験がありません。しかも当時はキャリア採用自体がメジャーではない時代。書類選考さえもなかなか通らない厳しい状況の中、興味をもってくれたのがヤマハ発動機でした。
私がメーカーを希望したのは、実体のある製品を生み出し、マーケットへと送り出すそのプロセスに関わりたかったからです。もともと当社製品のファンで当社への入社を志望する応募者が多い中、私は少し異色の応募者だったかもしれません。
法務の実務経験がなく、製品のこともあまり詳しくない。それでもヤマハ発動機は私を受け入れてくれました。入社が決まり、磐田市へ移住。私の新しいキャリアは、中古で買ったXJR400が相棒の新生活とともにスタートしました。
念願だった法務の仕事。しかし、わずか3年で経営企画部へ。
かねてから希望していた法務部門での仕事が始まりますが、私はすぐに経営企画へ異動となります。中途入社3年目の出来事でした。
きっかけは内部統制システムを構築するプロジェクトの発足。海外子会社と国内子会社も含めた、グループ全体における統制系統の枠組みを明確にするためのプロジェクトです。「法務の知識がある橋本くんに任せたい」といわれ、知識が活かせるならと迷わず引き受けました。
プロジェクトの性質上、会議には取締役や事業部長などが集まります。そこにマネージャーでもない若手の私が入り、自由に意見をさせてもらえる。それはなかなか気持ちが高ぶる環境でした。
法務という自分の強みを持つ一方で、社歴が浅く組織の仕組みなど分からないことも少なくありません。事業部門や製造部門、管理部門の皆のところへ積極的に出向いて学びながら、プロジェクトを推進したことを覚えています。
プロジェクトが稼動して運用が安定すると、次は財務・会計部門へ異動となりました。法務からますます遠ざかりますが、このときは大きな違和感はありませんでしたね。その理由は、経営企画部門に所属したことで経営全体を見られるようになりたいというモチベーションが湧いてきたからです。
恐らく上層部には、「今後のために管理会計の仕事をさせて幅を広げさせよう」という狙いがあったのでしょう。この異動には本当に感謝しています。管理会計はまったく未経験の分野だったため、まずは日商簿記検定2級に合格するところからスタートし、新たな仕事をイチから学んでいきました。
貴重な海外勤務経験。インドネシアとベトナムで世界と現場を知る。
管理会計を経験した後は、インドネシアに赴任しました。当時のインドネシアでは頻繁に労働運動が起こっており、生産拠点をもつ日本企業の工場では生産活動に大きな支障が出ていました。
私のミッションは、そうした状況についてジャカルタジャパンクラブ(現地の日系商工会議所)からインドネシア政府に対して意見具申を行うためのコーディネーション業務。現地に出向している各社の人事担当者の意見を取りまとめ、ジャカルタジャパンクラブの方と協力して意見具申に向けた調整を行うことでした。
そして約1年後、次は合弁会社の事業企画部長としてベトナムへ。管理部門全般を見ながら、現地の合弁パートナーとの意見調整を図ることが私の主な役割でした。
また、現地従業員が主役となって仕事や会社を良くしていけるよう、組織をリードすることも重要な任務です。ベトナムの皆と協力して必要な仕組みを作っていくことはとても大変でしたが、非常に面白い仕事でした。
今は中期経営計画の中で「コアポジション現地化比率」のターゲットを明確に定めています(55%/2024年)。当時はそのような目標はなかったかもしれませんが、その源流となる考え方は昔からあり、いつの時代も世界中で多様な人材が活躍している会社だと改めて感じますね。
ベトナムは入社以来様々な部署で経験したことを活かせる場でした。また現場で起こるあらゆることを学ぶことができ、非常に有意義な経験だったと思います。
本社に帰任後は子会社の社長を経て、今に至ります。振り返ってみると私のキャリアは、ヤマハ発動機に入社したからこそ築けたといえるのではないでしょうか。自分の仕事に誇りをもって、夢中になって挑戦できる環境が確かにありました。
内燃機関の転換期。新たな仲間を迎え、化学反応を起こしたい。
短期的な業績としては2期連続で2兆円を超える規模へと伸びていますが、内燃機関の世界は転換期を迎えています。カーボンニュートラルに向けたマルチパスウェイへの対応など、これからも時代に求められる感動を生み出していくためには、新しい視点が欠かせません。
成長事業と位置づける、ロボティクス事業と電動アシスト自転車(ランドモビリティ事業の一部)や、冒頭お話しした三つの事業の枠組みを超えた新しい事業の開発など、あらゆる領域において人材が必要です。
当社にはない知見をお持ちの方や新たなアプローチをリードできる方をお迎えし、ヤマハ発動機の組織とものづくりに化学反応を起こしたいと考えています。
自由にのびのびと。挑戦を楽しみ、感動を生む価値を創造しよう。
のびのびと新しい挑戦に果敢に取り組める環境は、ヤマハ発動機のDNAともいえる創業以来変わらない企業風土です。この諸先輩方が培ってきたDNAを受け継ぎながら、時代や価値観の変化に合わせた組織と制度を運営し、社員の皆が幸せな仕事人生を送れるように努力していきたいと思っています。
磐田市は自然が多く、子育てものびのびできる住みやすい地域です。また浜松市や静岡市といった政令指定都市も近く、地方都市の中では東名阪とのアクセスも比較的に便利で移住をしても不便を感じない住みやすさも魅力です。仕事だけではなく、プライベートにおいてもその魅力を感じていただけるでしょう。
最後に、古い歴史を持つ弊社ですが社歴や年齢が不利になることはありません。キャリア入社者の管理職比率も年々高まり、「より大きな裁量権を持ちたい」「経営に近いポジションで働きたい」というような希望も実力と勤務に取り組む姿勢次第では叶えられる企業風土があります。
能動的に動ける人には、自然と人も仕事も集まります。これまでの経験と知見を活かし、世の中に新しい価値と感動を生み出す仕事にチャレンジしたい方と一緒に働けることを楽しみにしております。