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世界に誇れる街、「FUKUOKA」をつくる。

福岡地所株式会社
執行役員 小原 千尚

福岡 更新日:2019年4月17日

千葉県出身/東京大学経済学部卒
1997年 日本興業銀行(現みずほ銀行)入社
2004年 株式会社福岡リアルティ入社
2015年 福岡地所株式会社 ビル事業部 担当部長
2017年 執行役員就任
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

白球を追い続けた野球少年が銀行員へ。

大学時代は野球部で、毎日グラウンドと寮の往復でした。野球一色の生活だったので、卒業後のビジョンは何もありませんでした。しかし就職活動を進める中で、“社会の血液”とも言われ、経済すべてにおいて不可欠な“お金”を扱うことへの興味が強くなり、銀行への就職を考えるようになりました。

多くの銀行の中で日本興業銀行(現みずほ銀行)を選んだのは、先輩社員が活き活きと仕事をしていると感じたからです。入社初年度に高松支店に着任し、法人営業を担当しました。最初に任されたのは債権回収の計数管理でしたが、銀行業務を広く浅く、いろいろ学ぼうと意識していたと思います。2年目には本店営業九部に異動。自分で担当企業を持って営業活動をしていました。

そうした中、1999年8月、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の三行が経営統合を発表。2002年の新銀行発足までの流れに伴い、非常に多くの人事異動が発生したため、そのたびに顧客の引き継ぎをし、多いときは一人で150社ぐらい担当していました。煩雑な引き継ぎ業務を数多くこなすうち、新しいシステムにもかなり詳しくなったので、統合した3行間の交流事業に携わるために、旧第一勧銀のお店に行ったこともあります。

でも私自身は、「不動産証券化」の仕事に強く興味を持っていました。銀行内では証券化の仕事に携わることができない状況が続いていた折、興銀の同期だった現社長(榎本一郎氏)から『地域初の不動産証券化の仕事を、一緒に福岡でやらないか』と声を掛けられたのです。

30歳で転職。不動産証券化の道を邁進する。

声掛けの経緯は、当時住んでいた社宅の部屋が隣同士で、互いの奥さんも仲が良かった、それだけだと思います(笑)。一緒に仕事をしたことはなかったので、今思えば、彼自身は私の業務遂行能力には不安を持っていたかもしれませんね(苦笑)。

そんな縁で29歳のときに転職を決意し、2004年、30歳の年に現社長、私、同じく現社長から声掛けのあったもう一人の同期の3人で、福岡地所の新設会社である福岡リアルティに入社することになりました。不安がなかったわけではないですが、まだその年齢ならば失敗してもリカバリーできそうだし、体力もある。だからこそチャンスだし、挑戦する甲斐があると思っていました。

生活面でいうと、地方に住むことについての不安は特にありませんでした。家族も住むところにこだわらない性格で、仕事についても『やりたいと思ったんだったらやってみれば?』というスタンス。たとえばいま私が「転職して別の地方に行く」と言っても、『ふ~ん、わかった』と受け入れそうなタイプです(笑)。

銀行内で異動した時も、環境に適応できてはいたので、基本は自分がしっかりしていればなんとでもなるかなという気持ちでしたね。でもやはり、体は正直なもので・・・、転職して間もない頃、生まれて初めて40℃の熱が出ました。銀行内の異動とは、訳が違ったということでしょうか(笑)。

日本初の「地域特化型リート」設立を実現。

自分自身としては「不動産証券化がやりたい」という明確な意思があったわけですが、新設したばかりの福岡リアルティにいざ入ってみると、何から手を付けたらいいか分からないのが実情でした。最初の1週間ぐらいは、ただ呆然と過ごしていたと思います。

そうした手探り状態の中で、まず、それぞれの得意分野に応じて役割分担をしていこうという話になり、銀行で長らく法人営業を担当していた私は、営業や対外交渉を中心に担うことになりました。それから営業活動を進めていく中で、証券会社から「福岡地所1社だけでは、不動産証券化は進められない」という指摘を受けたことから、九州電力さんを始めとした地元の優良企業に出資をお願いすることになりました。

ただ、私には福岡に地縁もネットワークもなかったので、そこは福岡地所に力を借りながら話を進めていきました。それに加え、福岡は他者を受け入れてくれる土壌があったので、その温情にかなり助けられました。

なかなかスケジュール通りに事も進まず、今思い返しても本当に大変な日々でしたが、艱難辛苦の末、2004年秋ごろに金融庁や国交省の認可を得ることができ、2005年6月、「福岡リート投資法人」の東京証券取引所と福岡証券取引所への上場を果たすことができました。

リスクは承知。でもチャレンジする価値がある。

不動産証券化の事業を進めていた当時の福岡地所は、決して良い財務内容ではありませんでした。前職の上司に「福岡地所に転職する」と告げた時には、「自分の将来をダメにするつもりか」と止められました。確かに、そんな思い切った決断は、“銀行員らしからぬ”ものだったかもしれません。

でも、会社の状況がほめられるものではないということは私も十分理解していて、それを解決する方法と、自分の関心が強い不動産証券化がうまく結び付いたので、転職がうまくいけば会社もうまくいく、というように考えました。30歳という年齢で、またとないチャレンジをさせてもらえることにも希望を感じましたね。

振り返ると、私は小さい頃から“やりたい放題”でした(笑)。野球ばかりしていましたし、大学はなんとなく経済学部に入って、就職はなんとなくに近い形で銀行を選んで・・・。そこでたまたま興味を持ったのが不動産証券化で、そしてそれを実現できる場所が縁もゆかりもない福岡で・・・。

なので、自分自身では未だに自分のやりたいことを好き放題にやっている感じですね。とはいえ、やりたいことのためにはものすごく努力しますよ。六大学で神宮球場で野球がしたい、やるからにはレギュラーがいい、という理由で東大に入ったくらいですから(笑)。

「個」から「全体」へ。

現在は福岡地所の執行役員という立場で、担当領域は多岐にわたります。自分一人ではカバーしきれないので、早い段階で周囲に力を借りながら、あるいは任せながら、仕事を進めています。

会社をまだまだ良くしたい、という気持ちも強くあります。そのために一番欲しいのは「物事を俯瞰して見ることができる人材」です。社内を見渡すと、特に管理部門の人材は特定の分野にのみ強いのではなく、「全体としてどうか」という観点で物事を考えることができる人材が必要だと感じています。もし、理想とする資質を持っている人材と出会えたら、すぐに重要業務を任せられるようなポジションへの抜擢も考えます。

他にも建築関係の人材は常に求めていますし、最近だとシェアードサービスを推進できるような経理系の人材、最先端のテクノロジーを駆使し、業務効率化などに反映できるIT系の人材も必要性が高まっています。様々なポジションで適した人材の採用を続けていきながら、社内では将来の幹部候補人材を対象にした育成プログラムを充実化させようと考えています。

私を受け入れてくれた福岡の街を、世界に誇れる街にしていきたい。

福岡地所はグループ全体として、福岡という街をもっともっと良くしていきたいと思っています。幸いなことに今の福岡は人口成長率も高く、スタートアップも多い。街の発展にとって非常にいい条件が整っているのです。

ただ、これは日本の中での話です。外に目を向ければ、都市間競争は世界レベルになってきています。その競争で戦っていく一つの答えが、今まさにプロジェクトが進行している『天神ビジネスセンター』だと思っています。

我々がアジアに向けてアピールしていくためには、世界から注目されるビジネス都市になる必要があります。ですから、世界的なビジネス拠点としての役割を十分に担えるインフラを整え、集積させないといけない。機能が集積してくると優秀な人材が集まってくるし、優秀な人材を必要とする企業の誘致も進む。そこに集まってくる人たちは年収が高く、街の収入も増え活性化に繋がる。私たちはそういった未来像を描いています。

世界の中の日本だけでなく、世界の中での“Fukuoka”となるために、他社とも細かくコミュニケーションを取りながら、ビジョンの擦り合わせを進めているところです。

福岡は、歴史的な背景もあるんでしょうか、外から来る人を受け入れてくれる、懐の深い土地です。自分自身も経験しましたが、本当に人が温かいんです。“よそ者”と思われてもおかしくない私にもいろんな人を紹介してくれ、たくさんの出会いを生んでくれます。行政サービスもすごく充実していますし、新しい環境の中で何かを始めたい人には、またとない環境だと思いますね。

編集後記

コンサルタント
植田 将嗣

小原さんご自身もIターン転職を経て福岡の街にいらっしゃった方ですので、インタビューでは「転職経験者」そして「経営者」両方の視点からお話をお聞きすることができ、どちらのお話もインパクトが大きくてとても刺激を受けました。

東京大学を卒業後、新卒入社した興銀を退職する際に思ったのは「今なら失敗してもなんとかなる」だったそうです。そして縁もゆかりもない福岡で、できたてホヤホヤの会社、福岡リアルティに転職。何から手を付けていいか分からなかったときにも、思っていたのは「こんな経験、今しかできない」だそうです。

輝かしいキャリアをスパッと手放して、しかも新天地でこうした環境に直面したとき、誰しもがこんなふうに思えるものでしょうか。清々しくて驚きました(笑)。

そんな小原さんから一貫して感じたのは、「誰かに何かをしてもらう」ではなく「自分で何を得るか」というスタンスです。自らの意志で選択して身を置いた環境から一つ一つを得てこられたからこそ、現在の小原さんがあるんだと思います。

偶然にも、小原さんと私は同世代です。今回のインタビューで一番刺激を受け、“いい思い”をさせいただいたのは、他でもない私かもしれません(笑)。

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