コンサルタント紹介

伊藤 秋則

リージョナルスタイル認定コンサルタント

担当エリア:岐阜

1985年、三重大学生物資源学部卒業後、ソフトウェア会社に入社。その後、印刷出版、通信会社を経て、大手人材サービス会社に勤務。2011年、株式会社アーリー・バードに入社し、同時期に同社が開始した「みえU・Iターン特化型人材紹介業」においてマネージャーに就任。2012年、前年に開始した人材紹介業を株式会社アーリー・バード・エージェントとして分社化、同社代表取締役に就任。2016年、同社営業企画部長に就任。

コンサルティング・転職支援実績

実績概要

・候補者面談数(キャリア通算) 300名~

・転職支援における候補者の転職前平均年収(直近3年間) 400万円~500万円

・転職支援時(入社時)の平均年収(同上) 400万円~500万円

実績詳細

年齢 企業/ポジション 入社時年収
32歳 機械製造業/設計技術者 550万円
31歳 食品製造業/海外営業 400万円

※掲載可能なものだけを選んでいます

コンサルタントより

より自分らしい生き方を求めて、近年、一段と、Uターンを希望される方が増えているように思います。都会と地方との情報格差が解消し、価値観が多様化する中で、その傾向はますます顕著になっていると見られます。しかしながら、そうした人の中には、過去にとらわれるあまり、キャリアミストに迷い込まれてしまわれる方もいるようです。実は、私がそうでした。自己分析をすればするほど、先が見えなくなるような、霧の中をさまよい歩く日々が続いていました。

ところがある時、不思議な言葉に出会いました。「これまで」が「これから」を決めるのではなく、「これから」が「これまで」を決めるんだ、と。これからの自分の歩み次第で、過去の解釈は変えられるというのです。一気に霧が晴れて、気持ちがあふれ出しました。

「地方企業の生命線は人材にあり」その出会いの場を創出することで、未来に向けて踏み出したい―。その日から、企業と求職者、双方の魅力を100%、フルに伝えるプレゼンターとしての歩みを始めました。森信三先生は、「人間は一生のうちに、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」と言われていますが、その導きの力を感じながら、「マッチング」を通して、一つひとつのご縁に、深く寄り添っていきたいと思います。

ライフワーク

ドナルド・キーンさんの本を読んで、日本文化の魅力を再発見。戦国武将や文豪たちの足跡をたどる、お散歩めぐりが目下のマイブームです。「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という松尾芭蕉のお気に入りの俳句がありますが、音楽家のエンヤもこの句にインスパイアされて「SUMIREGUSA」という曲を作っていたと、最近になって知りました。(写真は、岐阜の地で「楽市楽座」を始めた織田信長公の黄金像です)

コンサルタント一覧

関連情報

転職成功者インタビュー

ブログ

岐阜その他

2021.12.22

養蜂産業のメッカ、岐阜

みなさん、こんにちは。リージョナルキャリア岐阜の伊藤です。大自然の宝庫、岐阜。実は、養蜂産業のメッカとしても有名なんです。養蜂家はもちろんのこと、はちみつの専門店やカフェも多く、はちみつ由来の健康食品メーカーも沢山あるんですよ。はちみつは、昔から美容・健康・長寿の鍵とされ、「万病の妙薬」とも呼ばれていますが、コロナ禍の昨今、その存在感は、ますます高まっている気がします。 ところで、「一匹の働きバチが一生に集めるはちみつの量が、小さじ一杯分」ほどでしかないこと、ご存知でした?働きバチが命を賭して、持ち帰った蜜。それを想うと、「この蜜、おろそかには、なめんぞ」という気になります。ハチミツは、もともと花の蜜ですが、あの濃厚な甘さは、蜜蜂の比類ないチーム力で、つくり上げているんですね。働きバチは、持ち帰った蜜を、体内の酵素と混ぜ、巣で待機していたハチに引き渡します。それを受け取った働きバチが、一生懸命、羽ばたいて水分を飛ばし、蜜を濃縮していくんですね。ハチの体内から出る抗生物質のおかげで、半永久的に保存がきくため、最近では、地震や台風の際の保存食として、防災備蓄品に入れている方もいらっしゃるとか。童話「青い鳥」の作家として有名なモーリス・メーテルリンクは、自著「蜜蜂の生活」の中で、「蜜蜂は自分たちが集めた蜜を誰が食べるのか知らない。同様に私たちが宇宙に導きいれる精神の力を誰が利用することになるのか、私たちは知らない。」と語っています。アガサ・クリスティも、「蜜蜂が他の生物より尊敬されるのは、勤勉だからじゃない。それは他者のために働いているから。」と讃えています。蜜蜂さんたちの利他的な営みに心から感謝したいですね。"はちみつ愛"は深まるばかりですが、はちみつ由来の健康食品メーカーでのお仕事に興味のある方がみえましたら、いつでもお声がけください。////////////////////////////////////////////////////////////////◎岐阜へのU・Iターンを検討される方はこちらをチェックリージョナルキャリア岐阜 https://rs-gifu.net/◎岐阜県で働きたい方を対象とした転職・キャリア個別相談会https://rs-gifu.net/career/detail/7933////////////////////////////////////////////////////////////////

岐阜レジャー

2021.10.20

木曽街道を彩った浮世絵師たち

みなさん、こんにちは。リージョナルキャリア岐阜の伊藤です。 今日は、恵那駅から徒歩5分、「中山道広重美術館」をご訪問。開館20周年の特別企画展「浮世絵/木曽街道三種揃踏」を堪能してきました。 江戸時代後期、浮世絵が最も栄えた時代に、画壇を席巻したのは、歌川派の絵師たち。なかでも、役者絵の豊国、武者絵の国芳、名所絵の広重の3人は、「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と評され人気を博しました。 浮世絵に親しみを持ったのは、やはり、永谷園の「お茶漬け」のおかげでしょうか。オマケの歌川広重「東海道五拾三次」カード欲しさに、お茶漬けの日々を送ったものです。今も、広重はひとかたならぬ存在です。 歌川広重は、葛飾北斎とよく比較されますが、藤沢周平の小説『溟い海』(くらいうみ)では、晩年の北斎が、37歳も年下の広重に対して、嫉妬のような敵意を募らせていくさまが、痛々しかったですね。広重の平明で穏やかな風景画の中に、人間の哀歓が切り取られていることに北斎が気づき狼狽するくだりは圧巻でした。 「大井」は広重の雪の絵の代表作。当時、恵那市にあった大井宿へ向かう旅の一行です。雪深い山道を音もなく歩く姿はとてもポエティック。舞い散る雪も、和紙の肌地と胡粉(白色の絵具)で効果的に表現されています。 「雨の中津川」も広重の傑作の一つ。初版の版木が焼失したため、日本に3図、外国に2図しか現存しない希少な作品となっています。 雪と雨を描かせたら広重の右にでる絵師はいないと言われていたそうですね。かのファン・ゴッホも浮世絵のファンで、広重の絵も数多く模写していたと言います。今、リニア中央新幹線が走る道として、中山道筋がにわかに脚光を浴びていますが、噛めば噛むほど味が出てくる浮世絵のように、町のたたずまいもゆっくりと味わっていただきたいですね。

岐阜レジャー

2021.08.25

愛の決断!杉原千畝 (すぎはらちうね)

みなさん、こんにちは。リージョナルキャリア岐阜の伊藤です。 今日は、岐阜県八百津町の高台に建つ「杉原千畝記念館」にやってまいりました。 第二次世界大戦当時、日本の通過ビザを発行することで、ナチスドイツの迫害から6000人ものユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝さん。その功績を称える記念館です。 杉原さんは、日本の外務省の反対を押し切って独断でビザを発行したため、戦後、職を追われることになりますが、後年、その人道的行為が世界中に知れ渡ると、「日本のシンドラー」と称えられ、イスラエル政府からは"建国の恩人""正義の人"として表彰されています。 ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーは、ユダヤ人を自分が経営する工場に雇い入れることで1200人もの命を救ったという人物。戦争が終結すると、戦犯として追われることになりますが、助け出したユダヤ人たちから、感謝の証として「一つの命を救う者が、世界を救う」と刻まれた指輪を贈られるんですね。ユダヤ人のために「命のビザ」を発給し続けた杉原さんと重なりますね。 杉原千畝記念館には、「人道の丘公園」が併設されています。なだらかな芝生の公園内には、噴水の出るパイプオルガンを模したシンボルモニュメントがあり、平和を奏でています。 杉原さんが、当時、赴任していたリトアニアのカウナス市内には、杉原さんの名前を冠した「スギハラ通り」ができているといいいます。すごいですね。 心理学者のヴィクトール・フランクル氏は、ナチスによって強制収容所に送られた自らの体験を『夜と霧』に綴っていますが、極限状態の中で生き延びることができたのは、明日への希望を見失わなかった人たちだと言っていました。 命のビザで、多くのユダヤ人の希望をつないだ杉原千畝さん。ここ八百津町で、その遺徳に触れることができました。

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